靴下  畳み終わった洗濯物の前に座って、俺は呆然としていた。 「メイコ。ちょっと」 「何?」 「これ見て」  うちでは、洗濯物を日曜日に一週間分まとめて(俺が)畳む習慣になっている。結婚当初についやってあげたばかりに、メイコにはそれが既得権となってしまい、「我が家のルール」にされてしまった。洗濯はメイコが毎日やるので、汚れ物が溜まることはない。干したものは夕方に取り込んで、二階の部屋で山にしている。  今、俺の前にはまだ畳んでいない靴下が7足ある。見事に全部片方だけだ。 「また片方しかないんだけど」 「あら、そうね。そのうち出てくるでしょ」 「そのうちじゃ困る。明日履くのがない」 「じゃあ、新しいのを下ろせば? でなかったら、それ適当に組み合わせて履けばいいじゃない。どうせ見えないんだし、見えてもかえってオシャレかもよ」  そういう問題ではない。なぜ片方無くなるのかが問題なのだ。  俺の箪笥には片方だけの靴下が沢山詰まっていた。たまに取り出してペアを探すことをしていたが、先週思い切って全部捨てたのだ。その時点で履いていたのを含めて残り8足。 これまでもちょくちょくこんなことがあった。洗濯するときに片方に穴が空きかけいていることに気付いてメイコが捨てていることもある。もう一方は洗濯槽の中だから後で探そうということにしてそのまま忘れてしまうのだ。他には、二階で山にしているうちにそれが崩れて、片方だけどこかに紛れ込むということもある。次の週に出てきても、相方は既に箪笥の中だから見当たらないことになる。でも、そういうのはこれまでは週に一組くらいのものだった。7足全部ということは有り得ない。  どういうことなのか。まさか泥棒ではないだろう。靴下の片方だけ盗んでいく泥棒なんていないだろう。ましてや男物なのだから。  メイコの下着が盗まれたことはこれまでない。近所ではたまに下着ドロがあっているようだが、うちは二階のベランダに干しているし、周りは見晴らしがいいからちょっと難しいだろう。  根性の入った下着ドロなら、そんなことは物ともせずに盗んでいくかもしれないが、メイコのだからなあ。妊婦パンツなんて機能だけで色気も何もない。っと、まずい、下手なことを言うとあとが怖い。  俺も男だから、下着フェチの気持ちが全く分からないとは言わない。でも、綺麗なあの人のとか、好きなあの子のとかいうのならともかく、見ず知らずの女性の下着を盗もうという動機は理解できない。どんなに可愛い下着だって、その使用者が可愛いとは限らないだろう。その道の人からは認識が甘いと言われるのだろうか。  それに、ずっと畳んできているうちに、俺にとってメイコの下着は下着ではなく単なる洗濯物、つまり畳む対象物というだけの存在に成り下がっている。じゃあ成り下がる前は何だったのかというと、……。  あ、いかん。思いっきり話がずれてしまった。問題は俺の靴下だ。 「干すときはちゃんとペアになってるんだろう?」 「普通はね」 「取り込むときは?」 「適当にポイポイって取り込んでるから分かんないや」  メイコは妊娠してから家事が大雑把になった。元々そういう感じだったのが、輪をかけてひどくなってきている。普通は細やかになるんじゃないかと思うが、本人にその自覚がないから、指摘してもキョトンとしている。 「新しいのはどこ?」 「二階のクローゼットの中。自分で取りに行ってね」 「そのくらいやってくれよ」 「私は二階に上がるのも大変なの。洗濯物干すのだって大仕事なんだから」  俺は何だか面倒くさくなって、明日は左右別でもいいやと思い始めていた。  メイコの出産予定日は12月20日だ。性別は生まれるまでのお楽しみということで、まだ医者から聞いていない。でも、双子だということは、医者に聞くまでもなく分かっている。 「ぼちぼち生まれる準備もしないとな」 「だいぶ買い込んでるよ。もう来月は車の運転もできないだろうし」 「性別聞いといたほうがいいんじゃないか」 「それは嫌。何度も言ったでしょう。いまのところは性別に関係しないように買い物してるし。今日は靴下買っちゃった。ほら、可愛いでしょう」 「それで出かけてたのか」  俺は今日は仕事だった。その仕事が早く終わったので、夕方に家に帰ったとき、メイコはいなかった。今日の分の洗濯物を取り込み、一週間分を一階に下ろして畳んでいるときに帰ってきたのだ。 「うん、お昼からね。午前中は洗濯物干して、そのまま二階でしばらく昼寝してた」  俺は「いい身分だなあ」という言葉を飲み込んでいた。妊婦にそれは禁句だ。  新生児に靴下が必要なのかどうかよく分からない。メイコが買ってきたそれは、とても小さく可愛かった。 「それ、片方だけにしないようにな」 −−  月が替わり、予定日がやってきた。  ところが、生まれる気配がない。医者は「初産はそんなもんです。一週間くらいずれますから」と言っていたらしい。  その間、俺の靴下が片方だけになるということは起きなかった。メイコが一応気をつけていたせいもある。でも先月の一度に7足なくなったときの靴下は結局そのままだった。いまでも箪笥の中に片方だけある。  あの翌日は片方ずつの靴下を履いて仕事に出かけた。見つかるはずはないと思っていたが、写真撮影があって時間が押していたのでスタジオの片隅で着替える羽目になり、そのときプロデューサーに見られたのだ。そこにいたスタッフみんなに笑われて懲りたので、その日帰ってからウォークインクローゼットから買い置きの靴下を取り出した。クロゼットの中はごちゃごちゃしていて、目的の物を見つけるのに苦労した。  陣痛が来ないまま、24日になった。メイコは今年のクリスマスは病院で迎えるつもりだった。さすがに酒を飲むことはできないので「つまんないなあ」と言いながらも、思いがけず家にいられて喜んでいた。  メイコにはちょっとしたアクセサリーをプレゼントした。 「子供達には?」 「まだ生まれてないんだから無し。来年からね」  その夜、俺は夢を見た。双子が出てきた。二人で並んで寝ているのを眺めていたら、いきなり目を開けて、新生児のくせに口をきいた。俺は驚きもせずに二人と会話していた。 「パパ。クリスマスのプレゼントちょうだい。今日でいいから」 「あのなあ。クリスマスプレゼントってのはサンタさんがくれるんだぞ」 「ううん。知ってるよ。パパがサンタさんなんでしょ」 「分かった分かった。でも、まあ、お前達の靴下に入るくらいのやつにしような」 「それじゃ駄目。ちゃんと大きな靴下用意してあるから。それに入るくらいのにして」 「靴下ってどこに」 「クローゼットの奥」  そこで目が覚めた。朝になっていた。変な夢を見たもんだと思いながら、まだ半分眠った頭でふらふらとクローゼットに向かった。さっきの言葉が頭に残っていた。  クローゼットに入って奥に進む。見覚えのない小さな箱があった。何だこれと開けてみると、中に俺の靴下の片割れが入っていた。  慌てて寝室に戻り、まだ寝ているメイコを起こした。 「ねえ。この箱知ってる?」 「何これ。知らない。何か入ってるの?」 「俺の靴下が入ってた」 「ふーん。前に買って忘れたのかな」 「違う違う。入ってたのはこの前なくなった片割れだ」  メイコは全く覚えがないそうだ。  俺が夢の話をしたら笑いながら、「この子達がいたずらしたのかもね。今日でもいいって言ったんでしょう? 何か買ってきてあげたら」と言った。  それで俺は仕事帰りに買い物に行き、おもちゃやら小さな絵本やら買うはめになった。  でも、7つをどうやって二人で分けるのだろう。共用でいいか。 −−  予定日のちょうと一週間後に陣痛が来て双子が生まれた。男の子と女の子だった。  新生児室に会いに行ったら二人とも目をつむっていた。こいつらが本当にいたずらしたのかなと思うと可笑しくて、つい笑ってしまった。そしたら、二人が同時に目を開け、俺の顔を見た。俺はふざけて頬を膨らませ、「お前達のせいでパパは履く靴下がなくて恥ずかしかったんだぞ」と言うと、二人同時に泣き出した。 了